名を遺した英雄
とある事情で改名したヒカセンの挨拶行脚と報告を受けたヤ・シュトラ(&マトーヤ)のおはなし
・新生~蒼天ネタバレあり
・ヒカセン暁月踏破済(微ネタバレ)
その旅を終えた時、女は今まで名乗っていた名を彼に返す事にした。すなわち、エオルゼアの地でおろされた蛮神を討ち取り、帝国の究極兵器(アルテマウェポン)を退けた「エオルゼアの英雄」その人として紡いできた冒険譚に幕を下ろすことにしたのである。
その名の本来の持ち主、エオルゼアの英雄はすでにこの世にはいない。彼を英雄にまで押し上げた「マーチ・オブ・アルコンズ」の直後、冒険者ギルドで受けたごくささいな依頼の最中にあっさりと命を落としてしまったのだ。それ以来、彼の名を名乗り旅路を歩んできたのは、彼のリテイナーであったアウラ・ゼラの女であった。
冒険者ギルドでの手続きを終えた女は、その足でかつて行動を共にした仲間達に近況を伝えがてらその報告に回った。元々彼女の本名を仲間達は知っている。古参の者は元より彼女が「英雄」となった経緯を知っているし、若い者達は友情を育む過程でその交代劇と真の名を知った。それ以外の者も、特に隠していなかったから行動を共にするうちに自然と表立っていない場所では女を本名で呼ぶようになった。
そう言うこともあり、ある者は「やっと表立って本来の名で呼べる」と喜び、ある者は「名を使い分ける面倒がなくなって良い」と笑った。「英雄」本人と面識があった者は改めて女と彼の事を語り合って偲び、彼女という「英雄」しか知らない者もまた、志半ばで散った不幸な男の話を女から聞き、彼に祈りを捧げた。
そうした挨拶回りの旅路の最後に女が訪れたのは低地ドラヴァニア。女の故郷でもあるそこには洞窟に隠遁する老魔女が住んでいる。そして折しも、研究資料を探るために訪れ、「ついでに頑固なお年寄りの様子も見てくる」と宣った魔女の弟子、冒険者の仲間であるミコッテ族の魔女が滞在していた。
***
「そう。名前を」
経緯を聞いた魔女は口元に笑みをたたえて頷いた。
「いいタイミングだと思うわ。ハイデリンに導かれ、光の加護を受けて冒険を始めた彼だもの。名前を背負われた事で、彼も彼女の元にたどり着いて、最後を見届けられたはずよ」
「フン、そんなものおためごかしさ。元からそんな事する必要なんてなかったよ。死んだ男の名前で呼ばれ続けるなんて、正気の沙汰じゃないね」
洞窟の主である老魔女に忌々しげに毒づかれ、女達は苦笑した。相変わらず向けられる言葉に棘があるが、実のところ内心は相手を心配する故の苦言である。弟子として老魔女の側にいた魔女はもちろんのこと、冒険者の女も彼女とはそこそこのつき合いになってきて、そう言ったことも分かるようになってきた。
「あまりせめないであげてほしいわ」
そう言って彼女の弟子が助け船を出した。「彼が亡くなったのはアルテマウェポンの一件があった直後だったから……暁(わたしたち)からも協力して欲しいとお願いしたのよ。各地で不穏な知らせもあったし、立役者が死んだなんて知られたら余計な混乱を招くと考えたの」
「尚更だよ。あんたたちの都合で女ひとり、人生が狂ったようなもんだ!」
痛いところをつくな、と元暁の女二人は苦々しく笑い合う。そう、本当に最初は雇い主の仲間達、暁の面々に請われての事だった。彼らの言い分も理解できたので、このごく平凡なアウラ・ゼラの女は要請を受け、「英雄」の名とその偉業を継いだ。たまたま英雄と同じ光の加護──異能の力を持ち、かの英雄のリテイナーで、冒険者でもあった為に。それがここまで過酷な旅路になろうとは思いもしなかったが、それでも冒険者はそれを後悔はしていない。むしろあまりにも面白かった。あんなささやかな依頼で事故死しなければ、その男が経験したであろう日々は、リテイナーとして淡々と採取に討伐にと駆けずり回るだけだった女には目にも鮮やかで、今更返せと言われたら口惜しいほどだ。
そう言った事を老魔女に伝えると、老魔女はやれやれと呆れたように肩をすくめた。
「押しつける方もそうだが、あんたもあんたさ。お似合いだよ。愚か者同士!」
女はそう罵られても楽しげな笑みを浮かべていた。まあそう言わないで、と今度は魔女への助け船を出す。
実は、エンシェントテレポから生還した2人の仲間と合流したところで、すでに提案されていたのだ。「そろそろ真実を明かして名を改めても良いのでは」と。そしてその提案は様々な折り目で、暁の仲間達に代わる代わる提案されてきた。それを断って彼の名を使い続け、そして真実を秘したままにしてきたのは、紛れもない女の意向だった。
だがそれは「この冒険は、偉業は本来は男のものになるはずだったから」などというような女の尊い純心ではない。先にくたばった主人の名を「最高におもしろい形で後世に残す」という、遺された雇われ人の意趣返しと、純粋な遊び心からだった。
「呆れた!」
それを聞いた魔女は苦々しげに嘆息した。「貴方、暁最後の日に私が相談した事を覚えていて?」
もちろん覚えている、と女は頷いた。いくら覚えていても人の主観で、記録をしてもその記録者の思いや視点で真実はねじ曲がってしまう。それを思い知らされた魔女はそれでも、この旅や人生で得てきたことを記録に残すべきか、と冒険者に尋ねたのだ。女はうんと考えて、ぜひ書くべきだ、と答えた。
「そう。貴方はそう言ったわ。そんな貴方自身が真実を捻じ曲げようと……しかも自分の楽しみのためにですって!」
そう言って苦言を呈する魔女の表情はしかし、面白いものを見つけた時のような悪戯っぽい笑顔だった。「なら、なおのこと書き記しておかなくちゃ。我らが英雄殿の「真実」を、余すことなく、ね」
***
女のそれは自己満足のささやかな楽しみだった。死後、様々な物語や歌に躍るであろう、あのお人好しの雇い主の名を思ってひとりほくそ笑む、たったそれだけのために女は雇い主の名を名乗り続けた。さすがに───まだ請われて名乗っていた頃だが───クリスタルタワーと共に眠りにつかんとする青年に「目覚めたら真っ先にあんたの名を探す」と言われた時と、それをよすがに彼から異世界に招かれたときはかなり申し訳ない気持ちにはなったが。
実のところ、女は冒険者を辞めるか死ぬまで男の名でいようと考えていた。その考えを改めたのは、あの星の果て。宿敵との死闘の末、意識を手放した時に見たものが切欠だった。
一度は星海の水底に沈みかけた彼女の魂は、沢山の先ゆく者達に背中を押され、再び水面へと送り出された。不慮の死を遂げた友、世界を守るため自らの命を散らせた先達、とある少女に託して自らは還ることを選んだ盟主、不服ながらも「今の人」に託す事を決めた古代人たち……そうした人々の中に、本来の「英雄」がいた。
そう、その時の、困惑に満ちた顔と言ったら!
実際には顔も体も無い、エーテル塊と化した魂だけの存在なのだが、なんでそんな事のために自分の名を、といった当惑や、自分が経験できなかった遠い国や異世界、さらには宇宙の果ての光景や匂いを羨む視線を、確かに感じ取ったのだ。
そして、それを感じ取ったからこそ、「まあ、これぐらいにしてやるか」という思いが浮かんだ。驚くほどすとん、とそういう気持ちになったのだ。
魔女の住まう洞窟を後にした女は、クルザス中央高地を訪れていた。その地の端、イシュガルドへと続く雲廊が見渡せる高い丘の端には盾を添えられた小さな墓碑がある。イシュガルドの動乱で命を落とした騎士、英雄の友の墓だ。
各地で活動している仲間達の前でそうしてきたように、女は名を改めたことの報告と、近況報告、それに加えて星海での礼。そういった事を墓碑に語りかけてから女は跪く。目を閉じて祈りを捧げながら、女は最初に出会った時の事を思い出した。
それは英雄の訃報と請われて彼の名を継ぐことになった事を伝えるために、かの騎士が主をつとめる砦に赴いた時のことだ。友の死はもとより、別の人間が彼に成り代わるなどという話は、騎士をどれだけ落胆させ憤慨させるだろうか。女は密かに心を痛めていたが、意外にもかの騎士はすんなりと受け入れた……どころか「友の後継ならお前も友」と言わんばかりにぐいぐい距離感を詰めてくる騎士に、始終圧倒されて困惑したものだ。
祈りが終わり立ち上がると、女は再びその墓を見る。異国の地から戻った折や、ひとつ「英雄の偉業」が増える度、その事を土産にここへ訪れるが、いつも墓碑とその周辺は綺麗に整えられていた。彼の古くからの友人がこまめに世話をしているのだ。いつだかに鉢合わせ、「何かとここに来てしまうんだ」とはにかむ、自身とも長い付き合いとなった童顔の男を思い出し、女は頬を緩めた。
それじゃあ、また。女はそう口に出すと、傍らで控えていた黒いチョコボに跨がった。チョコボが地面を蹴ると、その身体は背に乗せた冒険者ごと雪のちらつく灰色の空に舞い上がる。
さて今日は何から手を着けようか。やりたい事は山積みだ。